You've got mail #4
悟空からの手紙
2006年8月24日(木) 開演 午後7時
2006年8月25日(金) 開演 午後7時
文京シビック センター・小ホール

<演奏曲目>
第一幕
・ ガード下の靴磨き
・ 素敵なランデブー
・ アニメメドレー
「アンパンマン」「少年探偵団」
「妖怪人間ベム」「おしえて」
「ガッチャマン」「ウルトラマンタロウ」
「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」
「月光仮面」「風の谷のナウシカ」
「ひょっこりひょうたん島」「笛吹童子」
「母を訪ねて三千里」「ハグしちゃおう」
「ドラゴンボール」など
・ 冬の星座
・ 菩提樹
・ 星の界
・ 「相撲甚句」
・ 真っ赤な太陽
・ お祭りマンボ
・ 世界の国からこんにちは
・ お祭りマンボ
第二幕
・ 女心の歌
・ ボエームより/ムゼッタのアリア「私が街を歩く」
・ ジャンニスキッキより/「私のお父さん」
・ マイフェアレディより/「踊り明かそう」
・ 夏の思い出
・ 椿姫より/「乾杯の歌」
第三幕
・ 道化師/「衣装をつけろ」
・ オケピ!より/「俺たちはサルじゃない!」
・ ソーラン節
・ さくら
<演出・脚本 福原正美>
「手紙」をモチーフにしたこのコンサートは、皆様のおかげで、今回で第4回目を迎えることが出米ました。感謝でいっばいです。
第一回は「出逢った手紙」、第二回は「真夏に届いたクリスマスカード」、そして昨年の第三回は「様々な手紙」をサブタイトルにして、二日間公演が出来ました。第一回はホントに小さいホールだったので、ピアノ演奏と岡田誠君の歌声だけでしたから、正直、演出的な効果はさほど必要ではありません。曲と曲の間をつなげておけばすんだからです。ただ、そんな作業をしているうちに、忘れかけていた学生時代の「音楽」と「文学」
が浮上してきて、後味の良さが残ったものでした。
その思いが実現したのが第二回目。プロデューサーの福鳥成人君の手助けがなかったら、実現しなかったことでしょう。あのときは、ちと、まじめに台本を書きたくなった、十年ぶりに舞台に上がるNYの友達…と、いう現実がボクの心を燃やしてくれました。
しかし本番直前に、ピアノ奏者が突然、学枚の都合でNYに帰らざるを得なくなり、舞台作りは大騒ぎになってしまいました。紆余曲折した後、原宿で石野真穂という不思譲な、そして素敵な「天敵」と出逢えたこと…も、今となっては、懐かしいボクの想い出になっています。
出逢いって、時を選ばない…
贈り物…クリスマス…ソング…
突然、季節はずれの手紙が舞い込んできた…そんな感覚が、ボクには「出逢い」なのです。
その印象をそのまま台本のモチーフにして舞台を構成してみたくなりました。真夏の猛暑のど真ん中で、真冬の白い雪を思う…つて、なんとなく、音楽性を感じると思えたのです。
しかし、この思いをどうやって台本にしようか…と、考えました。思いついたのが、「夢を現実」にすること、でした。人は、誰だって「人生でやり残した夢」を持っている、とまず作家的独断で「決めうち」して、ターゲットを設定してみました。
あのときの処置は、こうでした。
山田展弘君が「仰げば尊し」をまだ歌ったことがない、という事実(現実)を、舞台の上(虚像)で、台詞として真実を語ってもらった。
「それがさツ、ボクの人生でやり残したことなんだ…」という台詞を、最後に使ってみたのです。その台詞を受けて、舞台に一緒に上がっている山田君の後輩の岡田君に、「夢を実現させる手助け」をしてもらう…仮面を取り除く…を、させてみました。山田君は、お芝居が始まったときからずっと頭巾をかぶったままのコスチュームで通してもらったのは、「隠し事」のシンボルでした。その頭巾はもちろんボクの演出的な悪戯です、
隠していたことを自分で取り除くのではなくて、友達に取り除いてもらう…友達からの贈り物、それを「夢の実現」にしたかったのです、心に残っていることを人に話す…そして、聞いてくれた人がその「夢」を手助けする、という処置にしたのです。
話は、それだけです。
あのときはクリスマスツリーが登場するラストシーンに力を注ぎましたが、なのに、ボクにとっては、この何でもない「山田君の仰げば尊し」のシーンが、観客は「一番よかった」との感想を聞いて、ガックシ…。
念入りに創ったラストシーンだったのに「山田君のシェア」で、ぶっ飛んだのでありました。
こんないい素材(各曲)を集めたのに、観客ったら…もう!人の気も知らないで!
「なら、いいよ。今回は、観客との勝負だ」と、息巻いて書き上げてみたのが、前回の「#3」でした。
ラストシーンが終わったとたん、開場にいる観客を総立ちさせてやるぅ!もう!
このぉ~と、息巻いたのはいいのですが、どうすりゃいいの??
さて。
このコンサートの「軸」になっているのは、毎回「手紙」です。予紙文を音楽案内役にしてみようと、思いました…次の舞台シーンを観客が予想できるようにしたのです。
しかし、「手紙」は#3では、主役ではありません。物語を回して行くうえでは、重要な役割を演じてもらっているけれど、主役ではない、主役は「混血児」でした。現代では死語に近い言葉ではなかろうか。その昔「あいの子」という言葉もあったと聞きます。
混血児は、この日本にはかなり昔々、大和時代から存在しています。そしてその姿は、異様、だったに違いありません、感情の表現も派手だし、起伏も激しく映ったようです。だから、それだけで、友達が少なかったのかもしれない。戦争の度に、世界中で、混血児が生まれる…。
しかし、彼らとて「祖国は日本」、れっきとした日本人である、故郷は、日本のどこか…なのだから。で、台本を書くときの基本だが、相対するものを置かなくては物語としては際立ってきません。
そこで設定したのが、「集団就職の子供たち」です。昭和29年から50年までの21年間、東北地方から上野駅まで「集団就職列車」が走っていた。東北の農家の次男、三男そして娘達がその列車に乗り込んだ。中卒の若さで親元を離れ、住み込みで仕事を続ける…。
彼らは、素朴であり、まっすぐだ。楽しみと言えば、月に一度の休日で友達と映画を見に行くことくらいで十分しあわせだったろう。その友達との出逢いの中で、彼らは「新しい家族」を創っていく…
「混血」に対して、絶対存在の「日本」。
このふたつを、ぶつけてみたのが「#3」でした。
そんな「ちいさな物語」が前回のコンサートでした。
「手紙」を演じてくれた柳沢さんの熱演が、物語を綺麗に彩ってくれて、ボクは感激でした。
さてさて。
今回の「悟空からの手紙」ですが、物語は単純です、孫悟空がいなくなったから、みんなで探しに行こう、というものです。
「悟空」というキャラクターは、ご承知の通り、元気者で感情豊か。冒険心いっぱいで、失敗をおそれない、自分の望む結果が出るまで、動き回る…。
このキャラクターは、ボクには「創作者」と重なって見えるのです。「もの造り」をしている人たちの姿と心意気に重ねることか出来ます。
現代は、打ち込んでいる人たちを「ハマッる」だの「ノメッてる」だのと、軽率な言葉で片付けてしまう傾向があるようです、努力や精進、などという言葉をあたかも嘲笑しているかのように、思います。努力と精進を「善」とした時代が日本から薄らいでしまうのは、ボク個人としてはいささか淋しい。「もの造り」をし続けたからこそ、日本経済は復興し、GNP第2位にまで上り詰めました。
そのとき、世界各国で日本経済の「もの造り」を評価してくれたものでした。
その歴史まで、今では押し流されそうです、小利口な人たちか「善」の時代になってはいないでしょうか…「ルール」さえ守れば、いいじゃないか、という居直りさえ聞こえてくる時代です。
そんな時代に、来年の2007年から、各企業で働いていた「団塊の世代」が退職していきます、「もの造り」をしてきた世代が、日本経済から姿を消していく…
「悟空がいなくなる」…と、いう訳です。
戦後の日本にたくさん生まれて、そのぶん競争社会を宿命づけられた「団塊の世代たち」が、人生を投げ込んだ自分の会社から「定年」を迎えて、各企業から出て行くのです…。
彼等の人生を「歌」にしておきたい…そんな思いで、このコンサートを構成してみました。
戦後のどさくさから今日の繁栄まで、まだ61年しか経っていません、あの当時の泥まみれの少年たちの人生と、繁栄の中での清潔な少年たちの姿、同じ年齢でありながら、この違いを創り出したのは「悟空の世代」たちの力ではなかっただろうか…と。
いまでは、テレビ歌番組やFM放送でも聞くことのない「日本の歌」も登場します。生きる、それ自体が美しかった日本の素朴さが皆様に伝わったら、スタッフ一同、このうえないよろこびでございます。
では、「悟空の時代」を、お楽しみ下さい…。
・・・ふくはら まさみ・・